第7回 胃腸疾患

1.サル類における胃腸感染症概説

吉川 泰弘 (東大大学院)


2.サル類における細菌性赤痢について

高坂 精夫 ((株)AQS)


3.サル類のエルシニア症

宇根 有美 (麻布大獣医学部)


4.ペットサルにおける消化器疾患

霍野 晋吉 (エキゾチックペット・クリニック)


5.造血幹細胞移植プロトコールにおける全身放射線照射による腸管粘膜障害

揚山 直英 (予防衛生協会)


6.症例報告

(ア)ガスザル

清水 利行 ((株)ハムリー)

(イ)ニホンザルの胃癌

小林 真人 (岐阜大)

(ウ)アジルテナガザルにおけるエルシニア・エンテロコリチカO8感染の1例

中村 進一(麻布大学獣医学部)


7.話題提供:ウイスコンシン霊長類センターにて

中村 紳一郎 (日獣大獣医学部)

1.サル類における消化管疾患:総論

東京大学大学院農学生命科学研究科 吉川泰弘

1 消化管とは?特性

多細胞生物が誕生したときに出来た最も古い器官
(腔腸動物のヒドラは、触覚、口、消化管のみ)

  • 100億個の神経細胞がある賢い器官
  • たった1層で外界と接する バリアーシステム:回腸のパイエル板
  • 栄養の取り入れ口は小腸(空腸)、輸送は門脈、保存は肝臓
    使用命令は膵臓(インシュリン)、排出は胆嚢

2 仕組と役割(形態・生理・機能)

唾液:プチアリン(澱粉?デキストラン、マルト?ス)pH 6.7
胃液:主細胞?ペプシノーゲン(ペプシンによりペプシンへ)
壁細胞?塩酸(pH1.5)、殺菌作用+ぺプシンの至適pH
副細胞?粘液(塩酸による胃壁障害の防御)
胃液分泌促進のレセプター:ムスカリン(Ach)、ガストリン、ヒスタミンH2
膵液:トリプシノーゲン、トリプシン;キモトリプシノーゲン、キモトリプシン(蛋白)
リパーゼ(脂肪)
αアミラーゼ(デキストラン、マルト?ス)
胆汁:脂肪酸の乳化作用、脂肪酸のミセル化
腸液:アミノペプチダーゼ、ジペプチダーゼでアミノ酸へ
カイロミクロン(脂肪酸を粘膜細胞内でトリグリへ、リン脂質を結合)
デキストリナーゼ、マルターゼ、ラクターゼ、スクラーゼでブドウ糖へ
大腸:消化酵素はない、ナトリウム・水分の吸収

3 感染症

ウイルス:ロタ、アデノ、エンテロ、サイトメガロ
細菌・真菌:カンジダ
ヘリコバクター・ピロリ、赤痢、結核、サルモネラ、カンピロバクター、エルシニア(偽結核)、腸管出血性大腸菌
寄生虫:赤痢アメーバ、ジアルジア、バランチジウム、コクシジウム、線虫、条虫、鈎虫

4 吸収不良症候群

5 その他、腫瘍、薬剤誘発胃腸障害


2.サル類における細菌性赤痢について

株式会社 エーキューエス 高阪精夫

赤痢という病名は赤い下痢、すなわち、血液が混じった下痢がみられる病気というのがその由来で、細菌性赤痢とアメーバ赤痢がある。細菌性赤痢(赤痢)はヒトとサル類にのみみられる感染症である。したがって、本病はサル類の健康管理の立場からだけでなく、公衆衛生上、人獣共通感染症予防の立場からも重要な病気のひとつである。

1) 原因

赤痢菌は腸内細菌科 (Enterobacteriaceae)のShigella属に属する菌である。Shigella属は生化学的性状と血清学的性状によって、A亜群 (志賀赤痢菌、Shigella dysenteriae )、B亜群(フレクスナー赤痢菌、S. flexneri )、C亜群(ボイド赤痢菌、S. boydii )および D亜群(ソンネ赤痢菌、S.sonnei ) の4亜群に分けられる。さらに、D亜群以外の3亜群は多くの血清型に分類されている。サル類から分離される菌種はB亜群が多い。

2) 疫学

赤痢菌は経口的に感染する。赤痢菌は糞便中に排泄され、食物、水、手指などを介して伝播する。1909年、Ravaut and Dopterがマカカ属サルの赤痢を報告して以来、サル類における赤痢菌分離例および赤痢の報告はほとんどが類人猿や旧世界ザルに関するもので、新世界ザルのものは少ない。原猿ではまれである。サル類の赤痢菌感染は、自然生息地域ではみられず、ヒトに捕らえられてから初めて感染することが確かめられている。新輸入サル類は本菌に感染している可能性が高い。また、本菌陽性ザルの多くは無症状保菌ザルである。ヒトにおける赤痢の発生は世界的に広くみられる。我が国の赤痢患者発生数は2001年824人、2002年(1?11月)641人で、そのうちの過半数は海外旅行で感染したものである。また、我が国においてペット用の輸入サル類に起因した赤痢患者または起因したと思われる赤痢患者が、1974年、1979年および1993年に発生している。

3) サル類の症状、病変

潜伏期は2?9日と考えられる。下痢(水様性、粘液性、粘血性、膿粘血性)、元気、食欲の消失、ときに嘔吐がみられる。発症例は無処置の場合、死亡することが多い。一般に、病変は回盲弁を境に大腸に限局してみられる。肉眼的には、粘膜の肥厚、浮腫、充血、出血、フィブリン様物質の付着あるいはびらんがみられる。ときに粘膜組織の欠損がみられる。組織学的には、カタル性炎、偽膜性炎および潰瘍性病巣の3型に分けられる。

4) 診断、予防、治療

確定診断は糞便や腸内容物からの赤痢菌の分離・同定による。サル類用、ヒト用の実用的なワクチンは開発されていない。サル類における感染を予防するためには、新輸入ザルや下痢ザルを中心に本菌感染例を摘発、隔離するともに適切に治療する。また、サル類を取り扱うヒトの着用衣類(とくにゴム手袋、長靴)、飼育器具・器材および排泄物の消毒を厳しく行う。感染ザルの治療には、rifampicin、chloramphenicol、ST合剤、fosfomycin、ampicillinなどの抗菌剤が用いられる。また、サル類からヒトへの感染予防には、ペット用としてサル類を飼育しないことが最高の手段である。


3.サル類のエルシニア症 ?リスザルを中心として?

麻布大学獣医学部病理学研究室 宇根 有美

1 エルシニア属菌

腸内細菌科に属する通性嫌気性グラム陰性桿菌で、4℃以下でも発育可能な低温発育性を有し、11菌種に分類されている。病原性をもつエルシニア属菌としては、1) Y. pestis(ペストの原因菌で、現在日本には存在しない)、2) Y. enterocolitica、3) Y. pseudotuberculosis(動物の肝臓や脾臓に結核結節に類似した病変を形成する仮性結核の原因菌)の3種が知られている。後2者はヒトと動物に急性腸管感染症を引き起こし、これらを一般的にエルシニア症という。本ワークショップでは、この2つのYersiniaの疫学と病理を紹介する。

2 Y. pseudotuberculosis

Y. pseudotuberculosisはO抗原により、1?15の血清群に型別され、さらに血清群1、2、4および5はさらに数亜群に分けられており、現在までのところ、21血清群がある。このうち、血清群1?6群および10群がヒトに病原性を示し、分離される血清型が地域によって異なる。欧米では、ほとんどが1、2と3型に限られる。しかし、我が国では種々の血清型が分離されており、動物では、3型30%、4b型22%、1b型22%、5b型5%、5a型4%、2b型3%が分離されている。

サル類はY. pseudotuberculosisに対して感受性が高く、欧米および日本において、多くの集団発生が報告されている。その種類は多岐にわたっており、日本では、ロリス科ショウガラゴ、オナガザル科サバンナモンキー、スーテイマンガベー、ブラッザモンキー、パタスモンキー、マンドリル、クロザル、オマキザル科フサオマキザル、リスザル、テナガザル科シロテナガザル、フクロテナガザル、オラウータン科チンパンジーの報告がある。これらの中ではリスザルの報告が多いが、これは飼育施設数と頭数が多いことや飼育状況によるものかも知れない。血清型としては、3型、1b型、6型が分離されているが、自験例を含めてリスザルでは、4bが最も多く3施設、1b型と6型が各1施設から分離されている。また、1施設でも年によって異なる血清型の流行が起きている。実際のリスザルにおける発生状況と病理像を本ワークショップで紹介する。ヒトおよび動物のエルシニア症の発生には、保菌動物が深く関わっており、欧米では、ノウサギ、齧歯類および鳥類が注目されており、21種類もの野鳥から分離されたという報告や、フランスやイギリスでは、野鳥の糞によって汚染された野菜による感染も報告されている。日本では、鳥類から分離されることは少なく、齧歯類が重要な保菌者として考えられているが、感染源が特定されることの方が少ない。

3 Y. enterocolitica

Y. enterocolitica は感染型食中毒菌の1つで、現在51のO抗原型別があり、そのうちヒトに病原性を示すものとして9血清群がある。特にO-3、O-5、27、O-8およびO-9の検出頻度が高く、病原性血清型菌として知られている。このうち、O-3、O-5、27およびO-9は世界的に広く分布しているが、O-8の分離は北米に限られていた。近年、我が国でも、保菌動物としてのノネズミとヒトの発症例から分離された。O-8は他の病原性Y. enterocoliticaと比較すると特段に強い病原性を有しており、O-3、O-5、27およびO-9をマウスに経口接種しても、不顕性感染するだけであるが、O-8は感染が成立するとほぼ100%の個体が敗血症を引き起こし死亡する。ヒトにおいても、日本では敗血症例、海外では死亡例も報告されている。

動物におけるO-8以外のY. enterocoliticaの分離は、クマネズミ、シカ、豚、イヌや数種のサルの糞便などから、また、斃死したサルの組織からもなされているが、O-8の発症例は皆無であった。しかし、我々は、昨年末に、飼育下リスザルのO-8感染症の集団発生に遭遇し、微生物学的および病理学的に検索した。

【世界初の自然発生性O-8感染致死例の集団発生の概要】

リスザル約50頭を飼養する施設での冬期の発生。45頭中17頭(37.8%)のサルの糞便からO-8が分離された。体重 300g以下の幼獣5頭が下痢を主徴として斃死した。4頭目のサルが死亡した時点で抗生物質を投与し流行の阻止を図っている。下痢以外に2頭のサルには下顎部の腫脹も見られた。肉眼的には、高度の腸炎と各種リンパ節と臓器における多発性膿瘍形成を特徴としており、組織学的には各臓器に菌塊を含む壊死巣や化膿性病変が認められた。分離O-8のパルスフィ?ルド分析とリボタイピングの成績は、青森由来株と同じであった。

以上の研究は、林谷秀樹先生(農工大・家畜衛生)、金子誠一先生、生井聡先生(東武動物公園)を始めとする動物園関係者の方々、野力を得てなされたことをここに記す。


4.ペットサルにおける消化器疾患

エキゾチックペットクリニック 霍野晋吉

サルはヒトと共存し、進化の過程を経て現世にも存在する貴重な動物である。しかし、多くの事情から、棲息環境が減少の一途を辿り、その結果、個体数は激減していることが現状である。今後はヒトとの共生、そして種の保存という義務をヒトは持たなければならないと思われる.

本発表では、そのなかでも共生の一つの形でもある、ペットサルに着眼し、それらの臨床における消化器疾患を概説する。しかし、対象は実験動物、野生動物としてはなく、一個人において飼育されているサルであり、これまで調べ得た疾病、治療などの全ての記録は、ペットサルに対して有用なものになるとは限らない。ましてや、飼育下では人畜共通感染症を引き起こしうることも少なくない。特に消化器疾患は唾液、吐物、あるいは糞などからも感染する疾病もまれではなく、感染が容易に成立しやすいという特徴もある。愛玩目的で飼育することが、飼育者であるヒトにとって、そしてサルにとって有益になるものでなければならない。

内容

1) 来院種類と飼育目的

来院するペットサルの種類の紹介、および各飼育目的における考えの相違

2) 診療の実際

診察方法、および保定、検査、鎮静や麻酔処置の実施

3) 好発する疾病

好発する代謝性疾患、歯牙疾患、腸炎、内部寄生虫の概略

4) 治療

個人飼育下での在宅治療、あるいは個人動物病院での院内治療の現実性

5) 法律と自主検疫

購入後の自主検疫、そして人畜共通感染症の考え実験動物、あるいは動物園動物とは異なり、個人宅におけるペットサルは今後増加するとは言えないかもしれない。しかし、現実的に飼育が現在も行われており、一部動物専門店において販売されていることから、一般の動物病院においても来院する可能性は有り得るわけである。これらのサルを対象に、そして飼育者や獣医師も積極的に取り組む問題は数多く、診療および自主検疫を確立するべきであると実感する。


5.造血幹細胞移植プロトコールにおける全身放射線照射による腸管粘膜障害

社団法人 予防衛生協会 揚山直英

造血幹細胞は移植治療の普及に伴って医療現場で広く使われるようになった細胞である。さらに、最近では再生医療や遺伝子治療への応用が期待されている。そのような造血幹細胞を用いた、新規治療法の開発や前臨床試験のために、ヒトと近縁な霊長類の移植系確立が強く求められている。そのため、我々はカニクイザルを用いた自家造血幹細胞移植法の樹立を行った(Comp. Med. 2002, 52, 445-51.)。今回はそれら移植法と全身放射線照射による腸管粘膜障害(消化管障害)について紹介する。

まず、移植法について紹介する。動物にはあらかじめCVラインの確保をおこなった。その後、貯血した自家血を輸血しながら座骨及び腸骨より骨髄血50mLを採取した。それらから抗体結合マグネットビーズによりCD34+細胞(造血幹細胞)を単離した。全身放射線照射により、骨髄を廃絶したサルの静脈内に、造血幹細胞を自家移植した。移植後は中心静脈栄養、輸血、抗生剤投与等の指標として、数日おきに血球検査、生化学検査、体重、体温等をモニターし、造血回復までの期間、無菌室での管理を行った。

全身放射線照射によって、もっとも影響を受けるのが消化管である。照射後3日目頃から腸管粘膜上皮の剥離が観察され、水溶性下痢や、時として血性下痢が認められた。治癒に要する2-4週間の間、輸液管理による電解質補正、消化管出血の抑制などの処方が必要であった。その他の全身放射線照射の影響としては、感染症、血小板減少などが認められたが、抗生剤や全血および濃厚血小板輸血、血液生化学値に応じた投薬などの適切な処置によりコントロールは可能であった。これらの処置によりサルの造血は約2週間以内に再構築でき、移植後1年以上にわたって副作用、後遺症は認められなかった。事故で移植後20日目に死亡したサル及び60-70日目に安楽殺したサルの剖検所見では胃粘膜および消化管に出血傾向が認められた。安楽殺したサルの病理組織像では粘膜上皮細胞の再生や粘膜固有層の線維芽細胞の増生が認められた。なお、GFP発現レトロウイルスベクターを用いた造血幹細胞の遺伝子標識試験も施行し、この造血回復が内因性でなく移植細胞由来の回復であることも確認した(Hanazono Y et al. J Gene Med., 2002, 4, 470- 7.)。

これらのことより、消化管障害などをコントロールできる集中治療管理を含めたカニクイザル造血幹細胞自家移植法が樹立できたと考えられた。今回開発した霊長類での造血幹細胞移植法は、ヒト造血幹細胞のれている。


6.症例報告
(ア) マカク属に見られる鼓張症(急性胃拡張)

ハムリー株式会社・筑波研究所 動物管理部 清水 利行

弊社はサルの輸入検疫・輸出検疫及び一般受託飼育、各種受託試験を業務としております。前記の業務を行って行く中でマカク属のサルが延べ頭数にして年間千数百頭が飼育されています。サルの種類は、カニクイザル、アカゲザルおよびニホンザルです。数は圧倒的にカニクイザルが多く、他にアカゲザルおよびニホンザルも取り扱っています。

サル類を飼育する中で年間何頭かの死亡例がありますが、近年は下痢症や衰弱等による死亡例はほとんど無くなりました。しかし、今回、症例報告で発表する"鼓張症"または"急性胃拡張症"での死亡例が、多くなっております。この症例において弊社内でも原因を探るべく、各方面から検索を加えていますが、特定の原因が究明できないでおります。これらの症例において、予防策がなかなか取りにくい、その原因は、前日までなんの兆候(症状)も無く、食欲・便性状・活動性においても異常らしきものは見られず、当日、突然死亡した状態で発見される為に、予防および治療等に困難を極めています。

弊社にて症状が現れると推測される夕方に集中観察を強化した結果、3例の腹部の異常な膨満を発見しました。その個体に強制的に胃内へ経口ゾンデを挿入した所、3例共に大量のガスと胃内容物が排出されました。3例とも3?6ヶ月後の現在も全く異常は確認されていません。

死亡発見が翌日になる事から、この症例の胃内でのガスの発生が、死亡後の発生か死亡前に何らかの原因で急激なガスの発生によるものかが特定できなかったが、つい先日死亡直後の動物を発見し胃内でのガスの発生と思われる所見を得る事が出来たので合わせて報告します。この確認で急激なガスの発生が生前に胃内で起こる事が確認出来ました。

今回の報告では、マカク属3種(カニクイザル・アカゲザル・ニホンザル)の死亡時及び解剖時の症例写真を主に紹介致します。

今回の症例報告により、サル疾病研究会会員の皆様の貴重なご助言・ご考察を頂いて、原因究明の何らかの足がかりとなれば思います。
また、今回の症例が鼓張と考えております。


6.症例報告
(イ) ニホンザルの胃癌の1例
?サルでは胃癌は噴門部に好発するのか??

○小林真人1,柳井徳磨1,後藤俊二2,加藤朗野2,酒井洋樹1,柵木利昭1(1岐阜大学・獣医病理,2京都大学・霊長類研究所)
Gastric carcinoma in a Japanese maccaque (Macaca fuscata)
- Is the cardiac region predisposed site of gastric carcinoma in monkeys?-

胃癌はヒトにおいて比較的発生の多い癌の一つであり,胃体部での発生が最も多く,噴門部での発生は少ないとされている.ヒトと多くの共通点を有するサルにおいては,胃癌に関連した報告は極めて少ない.今回ニホンザルの噴門部に発生した胃癌に遭遇した.その組織学的特徴を明らかにし,サル類における胃癌の好発部位について考察した.

症例はニホンザル,18.6歳,雄.死亡する約1年前から不定期に嘔吐を繰り返し,次第に削痩した.死亡する約2週間前からは頻回に嘔吐し,著しい食欲低下を示した.
肉眼的には,食道?胃接合部に直径約2cm大の腫瘤が認められ,噴門部は著しく狭窄していた.腫瘍表面は,高度な潰瘍を示した.腫瘤部は周囲粘膜から不規則に隆起するが,正常部との境界は不明瞭であった.

組織学的には,噴門部で胃粘膜は広範囲な糜爛および潰瘍を示し,潰瘍底を中心に大型の核を有する未分化な癌細胞が小型癌胞巣を形成しつつ粘膜筋板を越えて筋層へ,さらに漿膜付近にまで高度な浸潤を示していた.癌細胞の核は大小不同を示し,核仁は明瞭,分裂像もしばしば認められた.癌細胞は稀に腺管様構造を形成しており,その構成細胞ではアリューシャンブルー・PAS染色にて陽性を示す粘液が認められた.また一部の腫瘍細胞は扁平上皮様分化を示していた.

本症例は発生部位および形態学的特徴から噴門部原発の胃腺癌と診断された.当研究室では,過去にBrazza's guenonの胃噴門部に原発した胃癌を報告している1).その症例では腫瘍細胞の腺管様形成が顕著であった.また,サル類では過去に3例の胃癌(腺癌1例,扁平上皮癌2例)が報告されているが,いずれも噴門部で発生している.サル類では,胃癌は噴門部に発生する傾向がみられるが,その原因は明らかでない.

1)Yanai T, Noda A, Sakai H, Murata K, Hama N, Isowa K, Masegi T;
Advanced gastric carcinoma in a de Brazza's guenon(Cercopithecus neglectus) J. Med. Primatol 1997; 26: 257-259


6.症例報告
(ウ)アジルテナガザルにおけるエルシニア・エンテロコリチカO8感染の1例

麻布大学獣医学部病理学研究室 中村進一

【はじめに】

テナガザルはチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどと同じ類人猿で、アジルテナガザルは東南アジアに生息する10種のテナガザルのうちの1種である。一般にサル類はYersinia pseudotuberculosisに対して感受性が高く、多くの集団発生が報告されているが、動物におけるYersinia enterocoliticaの分離はあまりない。特に血清型O-8による自然発生性の感染致死例は今まで一度も報告がなく、今回が世界初の事例である。

【Yersinia enterocoliticaについて】

1939年に米国で小児の腸炎から初めて分離され、1982年に厚生労働省より食中毒菌に指定された代表的な感染型食中毒菌のひとつである。Yersinia enterocoliticaはヒトに感染した場合、胃腸炎、結節性紅斑、敗血症、関節炎、咽頭炎、心筋炎、髄膜炎など多彩な病像を示すが、一般的な症状は発熱、下痢、腹痛などを主症状とする胃腸炎である。乳幼児では下痢を主体とした症状を示すのに対し、年齢が高くなるにつれて、回腸末端炎や腸間膜リンパ節炎、虫垂炎といった症状を示すようになり、老人では結節性紅斑が多くなる。O-3、O-5、27およびO-9といった比較的病原性の弱い血清型では胃腸炎症状に留まることが多いが、病原性の強いO-8では胃腸炎に留まらず、敗血症のような重篤な症状に至ることが珍しくない。Yersinia enterocolirica O-8は今まで北米に限局して症例の報告があったが、1989年新潟県において世界で初めてノネズミからO-8が分離され、翌年青森県において北米以外で初めてヒトからO-8が分離された。また最近ヨーロッパでもヒトからO-8が分離されたという報告がある。

【症例】

1988年5月22日生まれ15歳の雌で体重は5kg。2003年4月1日、顔つきが悪く下痢をしたためビクシリン・ドライシロップ370mgを1日2回、3日間経口投与。4月3日食欲はあるが体を起こすことができなかった。4月4日朝、仰臥位で顔をうごかしたまま。午前10時55分斃死確認。同日午後4時30分から麻布大学病理学研究室において病理解剖を行い病理学的に検索を行うとともに、剖検時採材した各種臓器、糞便および膿瘍を東京農工大学農学部家畜衛生学研究室へ送付し、微生物学的に検索を行った。病理検査により盲結口部膿瘍(4×5×3.3cm)、盲腸膿瘍化(3.8×6.5cm)、多発性肝膿瘍(粟粒大からゴルフボール大)、回盲部リンパ節膿瘍、腎、胃リンパ節膿瘍(粟粒大散在)、脾腫など全身多臓器にわたる膿瘍が形成され、病理組織学的にそれらに菌塊を含む壊死巣や化膿性病変を認めた。また、膿瘍および各種臓器より、Yersinia enterocolitica O-8が分離されたため本症例をYersinia enterocolitica O-8によるエルシニア症とした。

【まとめ】

アジルテナガザルを飼育していた動物飼育施設では、同年冬期、リスザル45頭中17頭の糞便からO-8が分離されており、体重300g以下の幼獣5頭がO-8による下痢を主徴として斃死している。リスザル飼育展示施設とアジルテナガザル舎は、見学客が通る大きな道路を隔てられた場所に位置し、その付近には食堂等の飲食施設が存在する。もしノネズミあるいは野鳥が本菌のレゼルボアである場合、ヒトに集団発生を起こす可能性は否定できないため、公衆衛生上非常に重要な問題である。よって今後も発症個体の検索を行い、Yersinia enterocolitica O-8の病理像を明確にいくとともに、感染源の特定、Yersinia pseudotuberculosisとの類症鑑別が必要である。


話題提供:ウイスコンシン霊長類センターにて

ウィスコンシン州立大学マジソン校霊長類センターへの留学について(報告)
日本獣医畜産大学獣医病理学教室 中村紳一朗

約2年間、職場から留学の許可をいただいてウィスコンシン州立大学ウィスコンシン霊長類センター・テラサワ教授のもとでサル類の視床下部における成長ホルモン分泌支配の加齢に伴う変化について研究して参りました。

下垂体から分泌される成長ホルモンは視床下部から分泌される成長ホルモン放出ホルモン(GHRH)による促進的、およびソマトスタチン(SS)による抑制的な支配を受けています。しかし成長ホルモンの支配様式は動物種間差が認められます。またGHRHのアナログ、SS自身が他の臓器で産生されるため、一般的なホルモンのように血清を用いた計測はできません。従ってテラサワ教授のラボでは、人に近縁なサル類を用いた、視床下部から分泌されるホルモンを直接計測するためのpush-pull perfusion(PPP)という方法を確立しています。

老齢(n=7, 27.0 +/- 0.7歳)と若齢(n=12, 5.0 +/- 0.3歳)のそれぞれ雌アカゲザルのGHRHとSSをPPPにて計測したところ、GHRHは老齢群の方が明らかに低く、SSは老齢群の方が明らかに高い、というデータが得られました。他種動物などではGHRHとSSそれぞれ一方が加齢とともに変化するというデータも得られておりますが、アカゲザルの場合は両者のコンビネーションによって成長ホルモンに作用していると考えられました。

その他、ウィスコンシン霊長類センターの概要についても簡単に紹介しようと考えております。本センターは以前からサル類の栄養学や神経内分泌学では大きな功績をあげておりましたが、近年では免疫学や細胞工学(サル類のES細胞を見つけたトムソンのラボはここにあります)で大きな実績を得ております。研究に必要な人材や資材が豊富で、効率よく結果を出していくのには最高の環境でした。実際に感じふまえてお話しできたら幸いだと考えております。