2022年6月アーカイブ

「サル痘」と「サル類」

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アフリカ中央部で散発していたサル痘 monkeypox がいま,世界的な拡がりをみせています。SPDPは2011年発行の「サル疾病カラーアトラス」でこの感染症をすでに取り上げていますが,とかく誤解の多い「サル類」との関係を含め,改めてこの疾患について情報を整理しました。さらに感染症研究所のP4施設で初めてmonkeypoxのサル感染実験を行われた森川茂先生(岡山理科大学)が専門家の立場から特別にコメントを寄せて下さいました。併せてぜひご参照下さい。

[文責:板垣 伊織/サル類の疾病と病理のための研究会]

病原体


サル痘ウイルス Monkeypox virus

(ポックスウイルス科,オルソポックスウイルス属)
200×250nm,二本鎖DNA,エンベロープ有

  • 中央アフリカ(コンゴ盆地)クレード:致死率約10%
  • 西アフリカクレード:致死率1%以下

発生状況・経緯・疫学

[ ]内は発生国(国名表記は現在に基づく


■ウイルスの発見・ヒトへの感染

1958年[デンマーク]Statens血清研究所でサル2頭からウイルスが分離。シンガポールから入手したカニクイザル。

その後10年[アメリカ合衆国・オランダ]インド,マレーシア,フィリピンから輸入された合計8頭のサルに感染が確認される。

1970年[コンゴ民主共和国]世界で初めてヒト感染例が確認される。一般家庭に暮らす9ヶ月の幼児。両親によれば特別なご馳走としてたまにサル肉を食する習慣があるものの,直近1ヶ月程度は覚えがない。いずこかで接触した動物の屍体から感染したものと推察される。

■流行国での集団発生・非流行国での発生事例

1981〜1986年[コンゴ民主共和国]WHOの支援により大規模な現地調査が行われる。結果338例の感染者が確認され,うち245例(72.5%)について動物由来が疑われる。感染源となった動物種は特定されず。疑われたのはキリス属(Rope squeels; Genus Funisciurus),陸棲げっ歯類,サル類の屍体,その他感染者の家庭に持ち込まれた動物。

1996〜1997年[コンゴ民主共和国]88名の集団感染が発生。疫学調査により動物由来の感染が確認されたケースは25%。その倍以上の54%はヒトからヒトへの感染と確認。感染源となった動物は主にキリス属。

2003年春[アメリカ合衆国]中央部6州において合計47名に及ぶ集団感染が発生。非流行国における世界初の事例。ペットショップで販売されたプレーリードッグがペット品評会を経てウイルスを拡散させる。感染源となったプレーリードッグはイリノイ州のペットショップで西アフリカから輸入されたアフリカオニネズミ(Giant pouched rat; Genus Cricetomys)の集団と同室飼育されていたことが判明。この大型のげっ歯類がウイルスを持ち込んだと推測される。

2005年以降[スーダン,コンゴ共和国,中央アフリカ共和国,ナイジェリアなど中央ないし西アフリカを中心としたアフリカ各地]集団感染が散発。2021年まで続いたナイジェリアの事例では,豪雨や洪水による食糧事情の変化が引金になったと推察されている。

■地球規模の拡大へ

2018年以降,[イギリス,イスラエル,シンガポール]単発的な感染者を確認。いずれもナイジェリアからの旅行者や帰国者。病院の清掃員1名が汚染シーツを介して感染した2018年イギリスでの事例を除き,いずれも入国後の二次感染は確認されていない。

2022年5月13日以降,[ヨーロッパを中心とした世界各地]突如として急激に感染拡大。2022年6月10日現在,ヨーロッパ,北・中・南米,中東,オーストラリア各地の全31ヶ国に計1,356名の感染者が確認されており,さらなる増加の兆し。きっかけは,同時期にスペイン領グラン・カナリア島で開催されていた大規模な男性同性愛者の集会「スレイブ」と考えられている。グラン・カナリア島はアフリカ北西部沿岸にもほど近い所謂リゾート地。件の「レイブ」は参加者80,000人規模だったといわれている。

サル類とサル痘の関係


サル類はヒトと同様,サル痘ウイルスの終末宿主である。自然宿主はまだ明らかにされていない。推察されているのはアフリカ中央部の樹棲・陸棲げっ歯類で,特に重要と考えられているのはキリス属とタイヨウリス属(Sun squirrels; Genus Heliociurus)のリスである。但,野生動物からサル痘ウイルスが分離された例は,コンゴ民主共和国で実施された大規模調査の折に瀕死状態で捕獲されたキリスが唯一である。自然界でのウイルスの循環経路,森林に棲息する野生動物からヒトへの感染経路を解明するには更なる調査・研究が必要である。

ウイルスを保有するサルも感染源となる可能性が多く指摘されているが,流行国で問題と目されているのはブッシュミートを介する経路である。また前項「発生状況・経緯・疫学」に示した通り,これまでに非流行国においてサル類からヒトへの感染が確認された事例は報告されていない。ヨーロッパを中心とした直近の大規模感染における疫学調査はまだ結論をみていないものの,少なくともサル類や他の動物からヒトへの古典的な経路が主流とは考えにくい。感染拡大要因はヒトの社会の中にあると考えられる。

サル類の感染対策


現状,日本で飼育されているサル類に特別な感染防御対策は求められていない。サル痘ウイルスの感染経路はウイルス保有者・ウイルス保有動物の血液,体液,罹患部皮膚浸出液との直接,ないし間接的接触である。したがって,現時点で考えられるサル類の感染防御対策は次の通り。

  1. サル類取扱者自身の感染防止
  2. 個人防護衣の着用:サル類との直接接触を避けるため
  3. 飼育環境の適切な衛生管理:サル類と他動物種の接触を避けるため

いずれもサル痘流行以前から心がけている,原則的な事項。この機会に改めてサル類の健康と飼育管理を見直すのも無駄なことではない。なお,ヒトの予防策については専門機関の提示する情報を参照。

専門家からの情報提供


情報提供者 森川 茂
 岡山理科大学 獣医学部 微生物学 教授

次のサイトがは急激に増加する患者数を早い段階で反映している。

グラン・カナリア島の大規模集会やその他にも同様のイベントがあったとしても,これだけ短期間に感染拡大するのは少々異常。濃密な接触が感染拡大を早めている可能性はある。ウイルスがヒトに馴化して感染しやすくなったという証拠は今のところない。
次に示すかなり高目の仮定条件に基づいて計算しても,2022年6月来の感染者数の増加を説明し得ず,もう少し経たないと全貌を把むことはできない。

サル痘の潜伏期間は,5日から21日で平均12日とされている。また,基本再生産数は天然痘は2〜6,サル痘は1未満といわれている。
しかし,5月6日に患者が報告され,それから6月3日に921名の患者までの感染拡大した。患者からの感染が7日でおきたと仮定すると,基本再生産数=4で感染拡大している。
その後,感染拡大のペースは低下しているが,6月13日時点で1678名の患者が35カ国で報告されている。

CDCによると,発熱や悪寒などのインフルエンザ様症状が全くないまま急に発疹が出るケースがある。発症前に他者に感染させやすくなる可能性を示す事象。オルソポックスウイルスはリンパ組織で感染した血球細胞に乗って血中に侵入し,上皮系細胞に到達して発疹が形成される。全身に発疹ができる前には必ずウイルス血症となるため,この時期に自覚症状がないケースでは献血などを介して輸血感染症を引き起こす可能性がある。

参考資料


Centers for Disease Control and Prevention, U.S. Monkeypox 2022: Situation Summary, 2022
https://www.cdc.gov/poxvirus/monkeypox/response/2022/index.html

Costello V et al, Imported Monkeypox from International Traveler, Maryland, USA, 2021, Emerg Infect Dis 28(5), 2022

Hutin YJF et al, Outbreak of Human Monkeypox, Democratic Republic of Congo, 1996-1997, Emerg Infect Dis 7(3), 2001

Jezek Z et al, Clinico-epidemiological features of monkeypox patients with an animal or human source of infection, Bull World Health Organ 66(4), 1988

Kantele A et al, Emerging diseases-the monkeypox epidemic in the Democratic Republic of the Congo, Clin Microbiol Infect 22, 658-659, 2016

Ladnyj ID, Ziegler P and Kima E, A human infection caused by monkeypox virus in Basankusu Territory, Democratic Republic of the Congo. Bull World Health Organ 46(5), 1972

Reynolds MG et al, A Silent Enzootic of an Orthopoxvirus in Ghana, West Africa: Evidence for Multi-Species Involvement in the Absence of Widespread Human Disease, Am J Trop Med Hyg, 82(4), 746-754, 2010

Rimoin AW et al, Major increase in human monkeypox incidence 30 years after smallpox vaccination campaigns cease in the Democratic Republic of Congo, Proc Natl Acad Sci USA 107, 2010

World Health Organization, Disease Outbreak News, Multi-country monkeypox outbreak in non-endemic countries, 2022
https://www.who.int/emergencies/disease-outbreak-news/item/2022-DON385

World Health Organization, Factsheets, Monkeypox, 2022
https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/monkeypox

青葉やまと, 「サル痘、欧州のレイヴでの性行為で拡散した可能性」専門家が指摘, NewSphere, 2022
https://newsphere.jp/national/20220526-2/2/

厚生労働省検疫所, サル痘について(ファクトシート)
https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2016/12121125.html

国立感染症研究所, サル痘とは, 2022
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/408-monkeypox-intro.html

山内一也, 突然広がり始めたサル痘ウイルス, 生命の雑記帳 150, 一般社団法人予防衛生協会
https://www.primate.or.jp/serialization/zakki/150%EF%BC%8E突然広がり始めたサル痘ウイルス/

山内一也, 米国で発生したサル痘, 人獣共通感染症連続講座 146, 一般社団法人予防衛生協会
https://www.primate.or.jp/forum/人獣共通感染症連続講座-第146回-米国で発生し/

吉川泰弘, サル痘 in サル疾病カラーアトラス, pp2-3, サル類の疾病と病理のための研究会, 2011