【参加報告】第22回サル疾病ワークショップ in 岐阜

「サル類の疾病ワークショップ」も今年で第22回を数えました。その記念の年に岐阜の地で開催されたことを嬉しく思います。岐阜は戦国の世から要衝の地でありました。西を目指せば近江から京まで一息です。かの信長も天下布武の夢を膨らませたことでしょう。
サル類を取り巻く諸々の問題やSPDPのあり方について時間を気にせずじっくりと話し合いたい。日帰りの集会ではなかなか難しいものがあります。そんな積年の希望を果たすべく企画されたのが,今回のワークショップでした。
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第22回サル疾病ワークショップ開催要項
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開催日時:2013年7月6日 (土) 13:00〜
会場:      ぎふ長良川温泉ホテルパーク
岐阜県岐阜市湊町397-2
特別テーマ:
ニホンザルの利用,臨床と病理
大会長 兼 実行委員長:柳井 徳麿 (岐阜大学)
口演数:10題
ポスター発表数:6題

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[報告] 板垣 伊織
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【基調講演】サル類をめぐる最近の動き
吉川 泰弘 (SPDP会長)
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[写真] 質問に答える吉川会長
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昨年2月,日本学術会議に「ワイルドライフサイエンス分科会」が設立されました (委員長: 山極寿一,委員; 吉川泰弘他)。獣医学・動物学の分野はもとより,人類学や心理学者も参画しているところがユニークです。ヒトも自然の一部としてとらえ,その心理面も含めて科学するのが目的とのことです。
吉川先生を主幹として,百におよぶ動物由来感染症に関する科学研究が行なわれています。その中のひとつに,サル山のニホンザルからBウイルスを完全排除するプロジェクトがあります。現在は数ヶ所の動物園から協力を得て状況を調査している段階ですが,展示用ニホンザルのBウイルス抗体陽性率は思っていたよりも低く,一施設の,しかも老齢サルの一部でしか検出されていません。カニクイザルと違ってニホンザルでは垂直・母子感染は起こらず,限局的な流行にとどまるのでしょうか。非常に興味がもたれます。
近年の医学トピックスといえばiPS細胞による再生医療です。おりしも加齢性黄斑変性への適用をめざし「安全性」を検証する臨床試験が当局の認可するところとなりました。成功すれば世界初の快挙ですが,開発者の母国として威信をかけたプロジェクト,という側面もあります。実施者も当局もやや功を焦りすぎてはいないでしょうか。つくば霊長類医科学研究センターにはカニクイザルの自然発症病態モデルが維持されています。ヒトでの安全性と有効性を担保するため,臨床試験に先だってこの良質な動物モデルを利用しない手はありません。

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ニホンザルの遺伝的背景
川本 芳 (京都大学霊長類研究所)
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[写真] 京大霊長研の川本講師
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250万年前の地層から初代ニホンザルの化石が発掘されています。それがマカク属ではなく,コロブスというから驚きです。
川本先生は現有するニホンザルの遺伝的な多様性について,血液タンパク質 トランスフェリン 遺伝子やミトコンドリアDNAを指標に検討を続けてこられました。インドネシアのマカク属の持つトランスフェリン遺伝子は居住する島によって大きな差異がありますが,それに較べてニホンザルの地域差は随分低いとのことです。
それでも詳しく調べてゆくと,下北半島,房総半島,屋久島など地理的な辺縁部 (海岸部) に暮らす個体群は,陸地の中心部から移動していった経緯が浮かび上がってきました。母性遺伝を示すミトコンドリアDNAのパターンは,大きく東日本と西日本に分類されました。その多様性は西高東低でしたので,西は古く東は新しいといえます。最終氷河期を迎えた過酷な環境下,ニホンザルの棲息地域は一旦縮小したものの,それが明けると東日本方面や海岸線へと拡がっていったものでしょう。
このようにニホンザルの遺伝子には,先祖が過酷な環境の変化に対して分布域を変えながら適応を図った経緯と歴史が刻み込まれています。

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ナショナルバイオリソースプロジェクト「ニホンザル」の12年
伊佐 正 (自然科学機構 生理学研究所)
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[写真] 講演に臨む伊佐講師
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かつての研究用ニホンザルの出所は,害獣駆除で捕獲されたものや展示施設の過剰繁殖動物でした。しかし実験動物の適正利用という世界的な流れを受け,2002年,国家主導でナショナルバイオリソースプロジェクト (NBR)「ニホンザル」が発足するに至りました。以来12年,NBRは合計355頭ものニホンザルを供給し,高次脳機能の研究領域に大きな役割を果たしてきました。
供給ばかりでなく,NBRはサルの取扱い者講習や公開シンポジウムを開催し,積極的な情報開示と疾病に関する啓蒙・知識の普及に努めています。さらに2013年,脳神経分野に限られていた供給先をオープンとし,供給申請のプロセスを年複数回とするなど,利用者のニーズに応える改革が断行されました。血液や組織などの生物材料のみを提供することについても検討されています。

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ニホンザルの臨床病理的背景
兼子 明久 (京都大学 霊長類研究所)
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[写真] 風邪を押して熱弁を振るう兼子講師
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ニホンザルを獣医学的に管理する上で臨床検査から得られる情報は大きく,医学や他の動物種と変るところはありません。
しかし,ニホンザルの生体材料を採取するのは,あれで難しいものです。ニホンザルは賢く,時として危険な動物です。集団飼育の場合は排泄された便の個体を特定するのに非常な熟練を要しますし,採材に当たって他の動物種よりも高いレベルでバイオセーフティ的な配慮が求められます。
また検査データの解析に際しても注意が必要です。例えば胆道閉鎖系の疾患ではビリルビン値の上昇は鈍く,却ってγGTPやロイシンアミノペプチターゼ (LAP) が鋭敏に上昇するなど,特有の反応が知られています。
材料の採取や解析が難しいニホンザルの臨床病理学ではありますが,定期的な検査を継続すれば自ずとデータが蓄積され,サルの病態解析や正確な診断と予後判定に役立つ大きなツールとなるはずです。

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★☆ポスターセッション★☆
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[写真] 短い時間で熱い議論が展開されました。
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エントリーされた6題すべてについて,順次プレゼンテーションとディスカッションが繰り広げられました。進行は今年からSPDPに参加された新日本科学の佐竹さんです。
発表を含めて与えられた時間は一題3分程度でした。超特急のセッションでしたが,フロアからの容赦ない質問攻勢に濃密な時間が過ぎました。その中心にいた発表者と座長はさぞ大変だったと思います。
今年は大学関係者のエントリーが多かったせいか,症例報告に詳細な病理学的解析を加えた演題が多かった印象があります。症例報告は次に同じ病態が発生した際の重要な情報源です。これらの症例がデータベース化され,SPDPに蓄積されてゆけば,それだけでも大なる資産価値があると思われます。

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ニホンザルの病理学的背景
柳井 徳麿・平田 暁大 (岐阜大学)
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[写真] ディスカッション中の平田講師
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岐阜大学の柳井先生と平田さんからニホンザルの病理学的な特徴について解説がありました。
環境調査の意味合いから,害獣として駆除されたニホンザルについても病理学的な検討が加えられています。意外にも肺の炭粉沈着が激しく,原因については不明ですが,ディーゼル排ガスや粉塵など汚染物質の拡散が懸念されています。
シュウ酸塩の結晶が腎臓に沈着するケースがしばしばみられるとのこと。酸葉 (スイバ) や木の芽などの植物がこの成分を多く含むため,食性との関連が推察されます。
平田さんはニホンザルにみられたリンパ腫について,特に潜在的なウイルス感染のと関係に着目して検討されました。ニホンザルではカニクイザルやアカゲザルとは異なり,T細胞性のリンパ腫が多く発生します。
ほぼ全てのニホンザルが抗体を保有する LCV (Simian Lymphocryptovirus)。EBV 近縁のヘルペスウイルスです。リンパ腫を発生した4例のうち2例の病変部にこのウイルスの核酸が検出され,他の霊長類と同様,ニホンザルでもリンパ腫の発生に LCV が関与していることが示されました。

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特徴的な感染症
鈴木 樹理 (京都大学 霊長類研究所)
江口 克之 (首都大学)
大沢 一貴 (長崎大学)
高橋 雅之 (天王寺動植物公園)
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最後のセッションはニホンザルの感染症です。4つの感染症について,それぞれ造詣の深い講師をお招きしました。
京大霊長研鈴木 樹理さんは,一連のニホンザル血小板減少症に関し,精力的に続けてこられた感染実験の結果と特定された感染ルートについてお話し下さいました。SRV-4の感染実験では,接種後1ヶ月ほどで劇的な血小板減少とそれに伴う臨床症状が見事に再現されました。また発症動物からSRV-4が再分離され,原因ウイルスと確定されました。施設に保存されていた血清を地道に検査したところ,全ての感染源と考えられる2頭の外部導入サルにたどり着きました。施設内で流行した血小板減少症について,その原因ウイルスと感染ルートが明らかになりました。その対応・排除方法や感染防止対策も含め,これらの貴重な情報が全てのサル施設に共有されることを望みます。

[写真] 昆虫分類学書としてアリを研究する江口講師
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首都大学江口先生は昆虫分類学者です。かつて長崎大学熱帯医学研究所に在籍されていたころ霊長類T細胞白血病ウイルス1型 (PTLV-1) の系統分化についてご研究されていたとのことで,今日はそのときの成果についてお話を伺いました。PTLV-1のうち,ヒトを宿主とするものが HTLV-1,ヒト以外の霊長類を宿主とするものが STLV-1 と呼ばれます。日本の HTLV-1 分布における地域差,すなわち九州・南西諸島にウイルス保有者が極めて多いことは有名ですが,北海道の一部にも九州地域のものと近い塩基配列を持つウイルスが分布しています。一方,ニホンザルを調べたところでは STLV-1 の分布に地域差はありません。HTLV-1と異なり,STLV-1 は母子感染せず水平感染だけで広がるようです。ウイルス陽性ニホンザルのDNAを詳細に解析すると,STLV-1 が日本に侵入してきた経緯が見えてきます。ニホンザルは31万〜88万年前に大陸のアカゲザルから分離して成立したと考えられていますが,その頃はSTLV-1 フリーでした。種として分離した後も大陸のマカクザルが日本列島へと侵入してニホンザルとの間で接触や交雑がおこり,約15万〜38万年前にウイルスが定着したと考えられます。

長崎大学大沢先生にはSPDPワークショップでも何度かご講演頂いています。今回もBウイルスのお話を伺うことができました。自然宿主であるマカク属サルがこのウイルスに感染しても,ほとんどの場合症状を示しません。恐らくはマカク属とBウイルスの関係はものすごく古く,マカク属の共通祖先はすでにBウイルスの祖先と共にあったと考えられます。サルの移動・系統分化とともにBウイルスも分化してきたため,マカク属の各サル種はそれぞれ独自の Bウイルスを持つに至ったと推察されます。1996年に公表された疫学データでは,ニホンザルの34%がBウイルスの抗体を保有しています。ただし実際の検査は70年代から90年代にかけて行われたとのことですので,改めて現状を知る大規模な調査の必要性を感じます。

[写真] 結核発生当時の困難な状況を語る高橋講師
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最終演者は天王寺動物園高橋先生です。かつて施設で発生したニホンザルの結核について,当時の状況を克明に語って下さいました。天王寺動物園のサル山で結核が発生したのは,2004年のことでした。一頭の死亡例を剖検したところ結核を強く疑う肺の結節病変がみられ,翌々日には病変部から抗酸菌が検出されました。私が個人的に最も感銘を受けたのは,この時の園の対応です。まだ菌の同定,つまり結核の確定診断がなされる前に早くも,1) 結核の発生を想定した行動をとった,2) 直後の緊急獣医ミーティングにおいて行政と周辺住民・マスメディアに対して報告と説明の方針を固めた,3) 結核専門医の視察を受けて状況を冷静に分析した,これらは見事な判断・対応といわざるを得ません。不特定多数の人間が訪れるのが展示施設です。この対応を誤れば感染者の発生という最悪の事態を招いたかも知れません。そうでなくとも経済的,社会信用上の危険にさらされることは必定です。事故発生時の適切な対応がその影響を最小限に食い止める。震災以来盛んに取沙汰される危機管理ですが,当時この言葉はあったでしょうか。言葉はなくとも,出来ているところは出来ている,と改めて自分を省みた次第です。

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所感「ニホンザルについて
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[写真] 金華山の中腹から会場のホテルパークを望む
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日本の固有種「ニホンザル」。神話や昔話の例を引くまでもなく,われわれ日本人とは古くから「つかず離れず」の関係にあったように思います。ヒトとサルのそんな微妙な距離感に,ところがあるとき大きな転機が訪れます。高度成長期を迎えたヒト社会が山を崩し,森を開いてテリトリーを拡大したことが原因でした。取り巻く環境が大きく変わった結果,ニホンザルは以前にも増してヒトの棲む里を脅かし,時として経済損失をもたらしました。そして「害獣」の名を与えられ,ついには個体数調整の対象となるに至ったのです。
そんなニホンザルですが,驚くほど高度な知能と繊細に動く手指を持ち,薬物代謝酵素も多くヒトと共通しています。性格が温順かどうかについては意見が分かれるところですが,ヒトへの順応性という点では他の動物にひけを取るものではありません。実験・研究用のサル類を輸入に頼っている日本において,これらの特性を併せ持つニホンザルは貴重な生物学的リソースと考えることもできます。単なる「駆除」から,保護,そして有効利用の道を探ることについて,国家的な課題としても取り上げられていることは,たいへんに喜ばしいことです。もちろん,サルとの関係に変化をもたらした我々の責任において,動物倫理は最大限度考慮されなくてはなりません。もはや「ヒトと近縁だから」という漠然とした理由が許容される時代は過ぎました。使用する動物の生物学的なプロファイルをしっかりと理解し,それが実験の目的と合致した場合においてのみ,必要最小限度の範囲で使用されるべきです。実行委員長である柳井先生が今回「ニホンザル」をテーマに選んだのは,この動物に関する知見を全国から集め,理解を深めて「保護」と「有効利用」を促進するためだ,と考える次第です。

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交流会「長先生・後藤さんを偲ぶ
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[写真] 両大人の思い出を語る和先生
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会場が観光ホテルでしたので,夕食は華やかなものでした。大広間に集まって夕餉の席を囲む楽しい雰囲気そのままに,昨年,今年と相次いで旅立たれたSPDPの先達,長文昭先生と後藤俊二さんの生前を偲びました。一人ひとりにマイクが回り,お二人の思い出が語られます。驚いたのは,出席した全ての皆さんがお二人と関わりがあったことです。改めて広く深い人脈に感服しました。旧善,旧悪,さまざま語られましたが,その中で何となく見えてきたものがあります。
長先生は普段静かに微笑んでいたイメージの通り,周りの人を思いやり,陰に日向に支えて下さる人でした。女性にも結構モテたそうです。その一方で物事の筋道をご自分の中でしっかり立てており,そこから外れた人には強い励ましも与えてくれました。どうも赤いシャツはその「筋」から外れていたようです。
後藤俊二さんはあの通り強面で,職に就いた当初から常にわが道を歩んできました。周りの人に対しても,世間からみれば不必要なプレッシャーを与えていたようです。しかし育ちはお坊ちゃんですから根はナイーブで,シャイで,人間関係には人一倍気を使っていた節があります。時間通り職場に出てこなかったというエピソードからそんな一面が垣間見えました。
ともあれ,惜しい人が一歩先に行ってしまうのは世の常です。いまだ河を越えざる我々は後に残された業績や言葉を頼りに白道を歩き続けるしかありません。

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ミッドナイトセッション
「SPDPの国際戦略
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陽が沈み,温泉に浸かってひと心地ついたその後は,地下の秘密の一室でSPDPの国際戦略が練られました。ビールの空き缶が増えるに従い議論は昇華して霧散し,やがて雨となってまた地を潤すといった感じでしたので,ここに何を報告したらいいのか困るのが実際です。

[写真] 金華山の頂上付近「道は非常に険しい」
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とにかくSPDPのネットワークはアジアに拡がって行かねばなりません。これは研究会の大方針で,揺るがない芯の部分です。地面にしみ込んだ議論の跡を追いながら,これを実現するアイディアをこれからも柳井先生と共に考えてみたいと思います。会員の皆様からのご意見も承ります。皆様の頭脳と人脈,行動力が目的達成に欠かせません。どうかご協力をお願い致します。