【参加報告】第20回サル疾病ワークショップ

梅雨明け間近の相模原市 麻布大学で,2011年7月2日の土曜日,毎年恒例の「サル疾病ワークショップ」が開催されました。今年は「サル類の疾病と病理のための研究会」(SPDP) 発足以来数えて第20回,節目の大会です。山海 直 (サンカイ タダシ) 事務局長兼第20回ワークショップ大会長の開会宣言も高らかに (写真上),昨年,病因解明に大きな進展のあった「ニホンザル血小板減少症」と,今なお続く大震災に巻き込まれた動物たちにスポットを当てた「東日本大震災と動物施設」について,各方面の専門家10人からそれぞれ独自の切り口でご講演頂きました。
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また今年もランチョンセミナーとしてポスター発表の時間が設けられ,分野の異なる様々な研究結果の展示に,多くの人がじっくりと目を留めていました。
会場にお集まり頂いたのは,毎年参加下さる方,今回が初めての方,会員,非会員,若い人,そうでない人,と多岐にわたり,「サル類」が共通する唯一のキーワードです (写真下)。その多様性もこの研究会の魅力の一つです。

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第20回サル疾病ワークショップ
開催日 2011年7月2日
会場 麻布大学 8号館7階 百周年記念ホール
開催時間 10:00〜16:45
主催 サル類の疾病と病理のための研究会
参加費 3,500円

(報告者: 板垣 伊織)
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基調講演「ニホンザル血小板減少症・東日本大震災」

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ワークショップの口火を切る基調講演は,例年の通り吉川泰弘SPDP会長 (写真) から頂きました。吉川会長は,この全く毛色の異なる二つのテーマを「危機管理」というキーワードでまとめます。
動物を相手とする仕事に携わる私たちにとって,天災の発生と感染症の大発生 (パンデミック) は,どちらも動物と施設に甚大な被害をもたらす可能性があり,普段から想定しておくべきリスクシナリオと言えます。これらはもしかしたら百年に一度,あるいは千年に一度の確率で起こるのかも知れません。しかし国内の動物関連施設の数をその確率に乗ずると,ぐっと身近な数字になってきます。
そういえば,昨年は日本各地で集中豪雨があり,多くの人々が被害を受けました。動物たちや動物関連施設はどうだったのでしょうか。また口蹄疫の発生があり,感染症は私たちの身近にあることが改めて骨身に沁みた年であったと思います。
気持ちも新たな今だからこそ,自分の施設に起こりうるリスクを想定し,その対策を講じておくことが必要です。危機に当たって何が必要か,何ができるのか,そして何をすべきなのか,この夏の節電ついでに皆さんで話し合ってみませんか。

テーマ1「ニホンザル血小板減少症」

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京都大学霊長類研究所の鈴木樹理さん (写真左) と自然科学機構生理学研究所・「ニホンザル」バイオリソースプロジェクト NBR事業推進室の稲垣晴久さん (写真右) は,それぞれの施設で発生したニホンザル血小板減少症の状況と原因解明までの努力についてつぶさにお話し下さいました。
ニホンザル血小板減少症」は突然の顔面蒼白,皮下出血斑,鼻出血,血様便の排泄から急性の転機で高率に死に至る,発生当時は原因が不明だった疾患です。特徴的なのは血球,特に血小板の減少が著明で,そのため全身の器官・組織に出血を来します。当初から感染性疾患の可能性が推察されましたが,京都大学霊長類研究所での発生第2期 (2008年〜) をきっかけとして国内複数の研究機関からなる共同プロジェクトが原体の分離にあたり,ついに Simian betaretrovirus  (SRV) と呼ばれる RNAウイルスが原因である可能性を見いだしました。京都大学霊長類研究所のケースは血清型 4型のSRV (SRV-4),生理学研究所のケースは血清型5型 (SRV-5) がそれぞれ罹患サルから共通して分離されています。これらはいずれも元々ニホンザルに感染するウイルスではなく,一般的にSRV-4はカニクイザル,SRV-5はアカゲザルに感染することが知られています。同じマカク属とはいえ,これらが別種のサルに感染して特異な病態をもたらしたことは,私たちも強く記憶に留めておく必要があります。
今回の例が示す様に,サルの感染症は一つの施設に限定して起こるとは限りません。発生したケースをオープンにし,他の施設と情報を共有したり,協力したりすることが原因解明の近道である,まさに典型例だと思いました。そしてSPDPはその様なサルの病気に関する情報を蓄積し,必要な人に提供し続ける学術団体でありたいと,目標を新たにしました。

原因追究により対象が明確となれば,適切な防疫対策が立てられますし,感染個体を摘発する検査法も確立できます。両施設とも感染個体の摘発とウイルス排除に向けて徹底した検査と管理を進めている最中とのことですが,社団法人 予防衛生協会の高野淳一朗さんも,霊長類医科学研究センター (TPRC) で維持される大規模なカニクイザルのコロニーの微生物学的検査を通じてSRVの排除に努力されているお一人です。高野さんが中心となって最適化したPCR検査とウエスタンブロットの組み合わせで,レトロウイルスに特徴的である抗体陰性,かつウイルス陽性の個体,いわゆる "Viremia" 状態にある個体を効率的に検出することができるようになりました。
この検査法を適用し,ウイルス陰性サルのみから構成されるグループを拡大中とのことです。このグループはSRVが陰性のみならず,その他カニクイザルの飼育で問題となるいくつかの病原体,例えばBウイルスの抗体やサル水痘症ウイルス,結核菌などの陰性結果と併せて  Specific Pathogen Free (SPF) と呼ばれています。ただし "SPF" と言う言葉は,実験動物学の世界では狭義に定義づけられており,カニクイザルでの広義な解釈とは厳密には一致していません。今後SPDPで概念と用語を整理してゆく必要があるかも知れません。

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ポスターセッション

動物園動物,病理検査,試験研究など,いろいろな分野から11題のポスターが展示されました。お昼休みの時間を利用して,京都大学霊長類研究所の鈴木樹理さん司会のもと,軽食を摂りながらのリラックスしたディスカッションが展開されました (写真)。




テーマ2「東日本大震災と動物施設」

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未曾有の被害をもたらしている東日本大震災は,人々の暮らしに密着している動物たちにも深い爪痕を残しました。動物の生命や健康に関わる直接的な被害も大問題ですが,例えばサル類など閉鎖的に飼育されていた動物が野に放たれるケースも想定され,その様な社会的な問題にも目を向ける必要があります。
今まで誰も経験したことのない大震災ですので,それに伴う動物の保護と関連する問題の解決には,個人の力だけでは及ぶものではありません。数ある動物福祉団体,獣医師会,地方,中央の行政機関が一体となってことにあたる必要があります。

日本動物福祉協会の山口千津子さんは地震発生以来何度も何度も現地に入り,悲惨な状況を目の当たりにしながら,被害を受けた動物のため,まさに「戦い」つづけていらっしゃいます。傷ついた動物,死んでいった動物だけでなく,繋がれたまま残された動物,避難所に入れない動物,飼い主とはぐれた動物,そして動物を救うために集まった人たちがあまりの惨状にパニックになる様子など,決して他では語れない状況を写真とともに語って頂きました。そして今なお苦しんでいる動物のため,長期的スパンで活動を継続したいと,決意を述べられておられました。
一方,各団体への支援の公的要請と救援物資の調達,動物のための避難所の設置,救援活動全体のオーガナイズを司るのが行政機関です。環境省 自然環境局 動物愛護管理室の小西豊さん (写真) からはその全体像の説明がありました。
特に今回の震災では天災のみならず原子力発電所事故という人災も加わっています。計画的避難区域内に残されたペットの保護が,規制当局と連携により順調に進むことを祈ってやみません。

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震災で被害を受けたのは,ペットだけではありません。動物園の動物たちも地震を体験しました。大きな動物園や水族館は日本動物園水族館協会 (JAZA) という団体に加盟していて,被害の状況は比較的スムースに共有されました。しかしJAZAに加盟していない比較的小規模な動物園も東日本にはたくさんあります。その被害状況の解明に尽力されたのが野生生物保全専門家グループ日本代表,アジア産野生動物研究センター代表,そして那須モンキーパーク園長の堀浩さん (写真) です。堀さんは直ちにアンケートを準備し,各地の動物園に配布しました。そして,かの震災が続く中,50%を超える回答率から浮かび上がったのは,動物園の生々しい実態でした。例えば,ショックを受けたキリンが肢を傷め,それが元で衰弱死したケースがありました。サル類については概して揺れに驚いた程度とのことですが,チンパンジーがうつ症状を呈す例もあり,高い精神性を持つ類人猿では人と同様,地震により精神的ダメージを負う可能性があることも示されました。
幸いにも建造物自体に大きな被害はなかったとのことですが,ライフラインの停止や道路交通網の寸断に伴い必要物資,支援物資の調達に支障を来した施設が多数に上り,普段の備蓄と緊急時支援体制の見直しが求められました。
地震で寸断した道路交通網を必死にたどり,そんな動物園に飼料や救援物資を届け続けているのが (有) ライノの竹内ひろしさんです。平時の流通経路が回復するのを待っていたのでは動物たちの生命を保つことができない。そんな悲鳴にも似た動物園の要請に応え,自身の危険を顧みず,トラックを駆って何度も被災地に入りました。物資を受け取る動物園スタッフの笑顔が非常に印象的でした。

動物実験施設の状況はどうだったのでしょう。30年前に建造された霊長類医科学研究センター (独立行政法人医薬基盤研究所) の実態を揚山直英さん,2008年竣工の耐震建造物であるアステラス製薬験動物施設の状況をアステラスリサーチテクノロジーの櫻井康博さんがそれぞれレポートして下さいました。幸いどちらの施設にも致命的な被害はなく,サルへの影響も一過性の食欲不振や小幅な体重減少が散発した程度とのことでした。しかし地震発生時に途切れたライフラインが復旧するまでの間,施設と動物の生命を維持するために大変な努力がなされたことは共通していました。また,地震後の燃料不足が施設の運営に困難をもたらしたことは,今後の危機管理を考える上で重要な材料となりました。

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東日本大震災に巻き込まれた動物を考えることは,同時に人間と動物たちとの密な関わりを考えることでもあります。ペットや展示動物,実験動物のみならず,野生動物でさえもはや人間社会,経済活動と無関係とはいえません。私たちにはそれら社会に巻き込まれた動物たちが平穏に暮らせる様に知恵を絞り,力を出して努力をし続ける義務があるはずです。
そんな活動について国という枠を超え,アジアの仲間とともに考える,それがアジア野生動物保全ワークショップです。今年は10月20日から,ネパールの首都カトマンドゥで開催されますので,初めての方もぜひご参加下さい。