【学術集会報告】第28回サル疾病ワークショップ

脳を知り・脳を診る
霊長類を用いた神経科学研究の展開

【日 程】2019年7月5日(金)

【会 場】文部科学省 研究交流センター
    茨城県つくば市竹園2-20-5

【抄録代】3,000円 (配布資料の実費)

【主 催】サル類の疾病と病理のための研究会

【大会長】木村 展之 (国立長寿医療研究センター)

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会場となった研究交流センターはつくば市の中心部に位置する。かねてより研究発表のメッカとして数多くの学術集会が開催され,学術発展を担ってきた。


SPDPつくばに還る

本庄重男先生がここ茨城県つくば市に日本初の本格的な医科学研究用サル類の繁殖・育成施設を設立されたのは,今から約40年前,1978年のことでした。広大な草原のただ中,「筑波医学実験用霊長類センター」と名付けられたその施設は,質の高い研究用サル類の生産を通じ,人類の脅威であり続ける感染症との闘いに重要な役割を果たしました。「霊長類医科学研究センター」と名前を変えた今なお,人類の苦痛克服をめざす研究拠点としてこの地にあり続けています。

それだけにつくば市とSPDPとの縁は深いものです。設立まもない2001年,第2回サル疾病ワークショップを奇しくも同じ研究交流センターで開催したのを皮切りに,2007年の第16回大会に至るまで,幾度となくこのつくば市での開催を重ねて参りました。それから12年,研究用サル類のふるさととも呼ぶべきこの地にワークショップが再び戻ってきたのは偶然ではありません。かつて研究者キャリアをスタートさせたばかりの大会長,木村展之先生はつくばの街を自転車で颯爽と駆けめぐっていましたし,事務局長をはじめ数多くのスタッフはここで暮らしています。私自身もそうですが,ご参加いただいた皆様の中にもなじみの深い方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

DSCN8829.jpgつくば市北部より筑波山の二峰を望む。向かって右の女体山が左の男体山より低く見えるのは,錯覚である。

今大会の構成は例年とは異なりました。テーマを反映したプレナリーレクチャーが二題。加えて一般公募の口演と,昨年より新設された臨床-病理カンファレンス (CPC)。ポスター発表も一般募集されましたが,展示に加えて壇上での喉頭発表 (フラッシュトーク) の時間が設けられました。ポスター前の説明はどの学会でも混雑するものですが,誰にでも見やすく,落ち着いてディスカッションする時間を設けたいという,大会長の意向です。


霊長類を用いた神経科学研究の展開

<Plenary Lecture 1>

コモンマーモセットを用いた脳研究

京都大学霊長類研究所・高次脳機能分野の中村克樹教授のご講演。

高次脳機能分野の研究といえば,かねてよりマカク属が広く用いられてきた。いわゆる新世界ザルはマカク属に比べて脳は未発達で,その行動もヒトのものとはほど遠いと信じられていたのですが,それは全くの誤解だったようです。家族単位で暮らし,一回に多産することの多いコモンマーモセットは,父親はもちろん,兄・姉もこぞって子育てに携わります。緻密な社会的行動,感情を交わす巧みなアイコンタクト,驚くべき記憶力,食物を家族に与える慈愛的感情,むしろわれわれが何処かに置いてきてしまったものをずっと持ち続けているのかも知れません。中村先生が重ねられた多くの実績は,脳科学研究におけるコモンマーモセットの有用性を示しています。しかし,その真価が発揮されるのは,むしろこれからかも知れません。そんな期待を抱かせる講演でした。

<Plenary Lecture 2>

病態モデルとしてのコモンマーモセット

実験動物中央研究所・マーモセット医学生物学研究部の佐々木えりか先生のご講演。

げっ歯類系の実験動物で飛躍的な向上を見た遺伝子改変の技術が,サル類にも応用されつつあります。この分野の研究には通年繁殖性をもつカニクイザルとコモンマーモセットが多用され,既に産子も得られています。双方の妊娠期間には体格ほどの違いはありませんが,コモンマーモセットの強みは年に二回の出産が可能なことです。性成熟までの期間が短いとも有利な点といえます。世界中が待ち望む遺伝子改変サル類と,それを用いた病態解析研究はもう始まっているのです。しかし,遺伝子改変動物のF1以降を得,実際の研究に利用できるようになるまでは数年以上の期間が必要です。その間を辛抱強く待ち続けることができるのか,問題は実験動物側にあるのではなく,むしろ日本の研究システムの方にあるのかも知れません。

DSCN0624.jpg筑波山の一角,ある展示施設で暮らすニホンザル。茨城県に野生のニホンザルは棲息しない。


一般口演・CPC・ポスター発表

いまや医科学研究に欠かせない存在となったコモンマーモセットですが,健康に飼育するのは大変です。一回の妊娠で三頭を産むことも珍しくありません。親による哺育が間に合わないときはデリケートな新生子をヒトの手をかけて育てなければなりません。同時哺育法に関する発表には,その並々ならぬ苦労とサルの健康を追求する情熱を感じました。

一方,カニクイザルの繁殖では個体とタイミングを制御した自然交配が主流となっています。さらに厳密な水平感染防御と受精時期のコントロールには人工授精の技術が必要ですが,不幸なことにカニクイザルの子宮頚管は実に複雑な形状をしており,カテーテルを子宮内に挿入するのはほぼ不可能に近いといわれています。その不可能に挑戦し,一頭ですが妊娠・出産を得ることができたのはうれしいニュースです。

サル類の病態を解析して健康なコロニーを維持するとともに,ヒトの病気のモデルとして医療の発展に役立てることはわれわれの重要なミッションです。カニクイザルの心臓疾患に関する発表が三題あったほか,マーモセットに頻発する特異な消化器疾患の病態に関する発表,これもかなり特異なカニクイザル脳神経細胞の遺伝的蓄積症についての検討結果が提示されました。

CPCでは,ニホンザルのコロニー発生した脳内出血の二例が紹介されました。サル類はヒトに対して警戒心を解かず,決して弱っている姿を見せようとしません。病にかかっていても人前では元気なそぶりを見せます。それだけに,サルの臨床は困難を極めるといわれています。気付いた時にはサルの病気はかなり進行しており,治療が一歩,二歩遅れてしまうこともあります。それだけに,サルの臨床症状,検査結果,そして不幸にして命を失った個体の病理検査結果を総合的に解析し,病態の全体像を明らかにすることは非常に重要です。それぞれの分野の専門家が集まり検討会を開く,それが臨床病理カンファレンスCPCなのです。その知見はいま元気に生きているサルたちに還元され,不幸を繰り返さないための重要な財産となるのです。それを一つの施設に留めおかず,皆で共有しようというのがSPDPがワークショップを開く目的の一つといえます。これからもSPDPはCPCを継続したいと考えています。


第28回サル疾病ワークショップ

優秀演題賞

一般口演二題,CPC一題,ポスター発表七題の中から,優秀演題賞二題が選定されました。

 佐藤真伍さん 日本大学 獣医公衆衛生学研究室

わが国のニホンザルにおけるBartonella quintanaの保菌状況と分離株の遺伝子系統

【所感】ヒトだけがかかる病気と考えられていた「塹壕熱」。その病原体が日本各地の野生ニホンザルから検出した研究です。原因菌を媒介するシラミと,ヒトと,ニホンザルとのまだ明らかになっていない密かな関係が彷彿とされました。

★ 棟居佳子さん 予防衛生協会

神経セロイドリポフスチノーシスと診断されたカニクイザルにおける原因遺伝子同定とコロニー内の保因状況

【所感】とても長いタイトルの研究は,脳に不思議な組織像を呈した数頭のカニクイザルから始まったものです。家系をたどると見事につながったそれらのサルたちは,私たちに何を語ってくれるのでしょうか。

受賞者にはSPDP会長から表彰状と副賞の図書カードが贈呈されました。研究の更なる進展を願っています。

SPDP会員の皆様には,すべての発表抄録をご参照いただけます。会員専用ページの"Workshop Archives"からどうぞ。


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ボルネオ島マレーシアに棲息する野生のカニクイザル。
風の渡る引き潮の海岸で「何か」を拾って食べる姿が撮影された。それは果たしてカニなのか?


Discussion

ソムノペンチル販売終了後の対応について

サル類の臨床や研究に欠くことのできない麻酔薬ペントバルビタールナトリウム。唯一の市販品「ソムノペンチル」が製造業者の都合で販売終了となり,関係者は一様に困難に直面しています。その背景と法的・ガイドライン的規制ついて調査した結果を解説いただいたのは,滋賀医科大学の中村紳一朗准教授です。やはりヒトと同様,きちんと効果が確認された代替方法をあらかじめ取り決めておかなくてはならないとのことです。

対応を検討中の施設,ある程度の対応を決めた施設,施設によって状況はさまざまですが,どこもまだ在庫品を消費しつつ世界的な動向を見ている段階です。この限られた時間と不透明な状況の中で,SPDPとして統一的な対応を提言することは到底無理ですが,この話題をあえて取り上げたことでひとつ分かったことがあります。まずはそれぞれの施設の中で十分に協議し,施設として最善と考える代替法を取り決めること。正解が見つかっていない現状では,その過程こそが重要です。サルの種類や数,使用する目的や頻度はそれぞれの施設で異なっているはずで,それを考慮せずして最善の策は得られない。いまのところはそう考えています。皆様はどのように感じ,どう考えていらっしゃるでしょうか。